湯沢英彦『プルースト的冒険』

ジョルジュ・ペレックには、『私は思い出す』という、軽快で不思議な書物がある。「私は思い出す」というフレーズで開始される数行の断章の連鎖から、全編がなっているのだ。頁には《ジュ・ム・スゥヴィアン Je me souviens》という、つまり「私は思い出す」という意味の文がいくつも姿を見せ、視覚的にも音韻的にも同一のリズムが反復される。記憶の内容は私的な出来事であるというよりも、三面記事的な些事が多く集められ、それらは同時代の人々と共有できる出来事なのだが、歴史のひとコマとはならず、遅かれ早かれ忘却される運命の、日常の破片である。優れたペレック論の著者であるクロード・ビュルジュランは、作家の試みによって「力強く歓喜に満ちた記憶のイメージ」が復権された、と評している。ペレック的な記憶というものは「無意味なものたち」をその消滅状態から引き剥がし、たとえ取るに足らないものであろうとも、貯めこんでいたものの不調和を楽しみ、それを遊びの道具とする。そこには「記憶についての、軽快で優美な、倫理もしくは美学の一種」が認められる、という。つまり記憶を「ペレックは、自分のアイデンティティーの確認のために用いるのではなく、共有の場として用いるのだ。彼の思い出はわれわれのそれと交差し、われわれの思い出が彼のそれから飛び出してくる」のである。

湯沢英彦『プルースト的冒険』(水声社 2001 pp.354-355)

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