ペレキアンのための旅行案内〜その5 アソンプシオン通り/デ・ゾー通り

アソンプシオン通り

伯父の黒いオンズ・シュヴォーに乗った。モンマルトルのジュノー通り(アブランテス公爵)にある家まで、アンリとその両親を送ってゆき、それからアソンプシオン通りのぼくらの家に向かった。

二日後、伯母のおつかいで通りを下ったところまでパンを買いにいった。パン屋を出てから、ぼくは方向を間違えてしまい、アソンプシオン通りを上る代りに、ブーランヴィリエ通りに行ってしまった。家を見つけるのに一時間以上かかった。(『Wあるいは子供の頃の思い出』第35章)

中国・アラブ系移民が多く、活気にあふれたベルヴィルから地下鉄に乗ってアソンプシオン通りに向かう。ラヌラグ?( Ranelagh)という駅で降りる。アソンプシオン通りは目と鼻の先だ。 戦後、疎開先からパリに戻ったペレックは伯母一家と共にこのアソンプシオン通りで暮らしていた。ペレックが暮らしていたアパルトマンはまだ残っているのだろうか。

ところが旅行前にペレックのアパルトマンがあった住所を控えるのを忘れてしまったため、どこだかわからない。そこで、アソンプシオン通りを端から端まで歩いて、適当に写真を撮っていく事にした。



さっきまでいた猥雑で活気にあふれるベルヴィルとは打って変わって、アソンプシオン通りには静かな高級住宅街が続く。住宅街なので特別面白いものはないのだが、たまに現れる重厚なアパルトマンはさすがに見応えがある。 古そうな建物をねらってパチリと写真を撮る。



ペレックは自分の住所について、こう書いている。

みんなもやったことがあると思うが、ぼくはこんなふうに住所を書いた。

ジョルジュ・ペレック
アソンプシオン通り18番地
A階段
4階
右扉
パリ16区
セーヌ県
フランス
ヨーロッパ
世界
宇宙
(『さまざまな空間』)

さらに、1947-48年ごろにアソンプシオン通りのアパルトマンで撮った写真とペレック自身によるキャプションが残っている。


7番目の写真。アソンプシオン通りのバルコニーにて。裏に1947年とある。ぼくは11歳だった。夏だ。ぼくはラコステのシャツ、白い半ズボン、黒いベルト(多分網皮のもの)を身につけている。ぼくは手を腰にあて、指が一本?(正確な言葉をずっと探している)に、ベルトの留め金に触れている。ぱっと見の印象とは異なり、伯母はぼくの肩をつかんではいない。ぼくの後ろで手すりに肘をついているだけだ。たぶんもう一方の手はぼくを支えている。ただ、写真がはっきりしないので断言はできない。*1

この写真と『さまざまな空間』の記述を付きあわせて、Googleマップとストリートビュー を使い、自分で撮った写真を拡大してみると…



ここだ!ほとんどストーカーばりの調査でペレックが住んでいた部屋を見つけた。バルコニーの手すりの模様、排水管がペレックの写真とぴったり一致する。60年以上前の写真なのに、今とまったく変わっていない。こういう手すりって、錆止めだけしてそのまま使っているのかな?それとも同じ模様のものをなんどか付け替えているのだろうか。

作家が住んでいた場所が特定できたからといって、なにかわかるわけでもない。新しい発見があるわけでもないし、作品の理解が深まるわけでもない。でも、これは旅行だ。自分の大好きな作家が描いた場所を旅行ついで訪れるのは、やっぱり楽しい。ましてやペレックは、作品のなかで自分が暮らしたアパルトマンや寝室について、なんども書いている。その原点がここだったのか、と思うと感慨ひとしおというか、ミーハー気分がもりあがって良い。



向かいは修道院のようなところだった。



左手がアソンプシオン通り、右手はペレックがパン屋を出てから間違えたブーランヴィリエ通り。

パッシー通り


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アソンプシオン通りをあとにして、セーヌ沿いの道に出る。しばらく歩くと高級マンションに囲まれた公園があった。



名前がないので金持ち公園ということにしておこう。このあたりもまた金持ちが住む街、ということがよくわかった。威圧感があって、貧乏人にはなんとも落ち着かない公園だ。

金持ち公園の3本隣の通りがデ・ゾー通りだ。



ここも、なんだかすごく圧迫感のある通り。金持ちなんだからもう少し余裕持たせた作りにすればいいのにと思う。

1930年代後半、ペレックの伯母エステール、その夫ダヴィッド・ビーナンフェルドがここデ・ゾー通りに住んでいた。幼いペレックは伯母や従兄弟に会うため、ベルヴィルのヴィラン通りからオー通りに何度も通った。ペレック一家が暮らした貧民街のベルヴィルとビーナンフェルド家があった高級住宅街パッシーでは、文化的にも社会的にも著しい断絶があったという。*2それは今でも、ベルヴィルとパッシーを歩けば実感できる。血縁関係もある同じユダヤ系家族でも、まったく異なる文化圏に所属していた。それでも、2つの家族は頻繁に行き来していたようだ。

ベルヴィルとパッシー。幼いペレックが行き来した2つの地区。
旅行で訪れるなら、ベルヴィルが圧倒的におすすめ。



*1:Jacques Neefs/Hans Hartje, Geroges Perec images, Éditions du Seuil, 1993 p.40から孫引き
*2:David Bellos, Georges Perec une vie dans les mots, Éditions du Seuil,1994 p.54


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